*第一章*
ビーナス・トランシットとは何か


 ●2004年のビーナス・トランシット
 ●
金星の日面通過とは何か
 ●
1874年のビーナス・トランシットの時、日本は…


 ビーナス・トランシットについて説明します。
※ちなみにTransitとは星や太陽の経過(通過)のことです。発音はトランシット・トランジット、両方とも正しいです。


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●2004年のビーナス・トランシット

 今回2004年6月8日(火)の「ビーナス・トランシット(トランジット)」とは、「金星の日面通過」という珍しい天体現象です。

 地球−金星−太陽と、一直線に並んで、地球から見ると、太陽面の中を金星が移動していく様子が見えるはずです。

 この現象は1882年以来、122年ぶりの現象で、日本では1874年以来、130年ぶりとなります。

 その日、日本では、日面通過が始まるのは、14時過ぎ頃で、この時の太陽の高度は60度あまりもあるのでかなりな好条件といえます。

 金星の大きさは57秒(1秒=3600分の1度)以上もあり、去年の「水星の日面通過」の場合よりも5倍もの大きさになり、迫力満点です。天候がよく、太陽の減光対策をしっかりすれば、じっくり観測できるでしょう。

 残念ながら、金星が日面通過の状態のまま日没をむかえ、終了は日没後となるため、全行程を日本で見ることはできません。

 金星日面通過は、百年を超えるサイクルでしか訪れない現象です。
 人によっては、一生見れない人もいるかも知れません。

 しかし今回、私たちは、2004年と8年後の2012年、二度も見ることができるのです。


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●金星の日面通過とは何か

 内惑星である金星は、太陽と地球の間を584日毎に通過しています。
 それを内合と言います。

 しかし、金星の軌道面は地球の軌道面に対して約3.4度傾いているので、たいていの場合、太陽の北か南を通過してしまいます。
 これは新月毎に日食が起こらないのと同じ理由です。

 金星が太陽前面を通過するのは非常に稀ですが、一定の周期で起こることが知られています。

 金星が地球の軌道面を南から北へ抜ける点を昇交点、北から南に抜ける点を降交点といいます。

 昇交点通過は毎年12月上旬、降交点通過は毎年6月上旬です。
 ちょうどその時に、金星が内合になれば、日面通過が見られるというわけです。

 そして1回起こると、8年後にまた起こります。8年間に2回の日面通過が1セットになっています。その次は、113年か130年のどちらか(交互に繰り返している)になります。総体的に243年で4回、というサイクルを繰り返しています。

ビーナストランシットのサイクル
113年周期

130年周期
1518.06.05 → 1526.06.03

1631.12.06 → 1639.12.04
113年周期

130年周期
1761.06.05 → 1769.06.03

1874.12.08 → 1882.12.06
113年周期

130年周期
2004.06.08 → 2012.06.05

2117.12.10 → 2125.12.08



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●1874年のビーナス・トランシットの時、日本は…

 1874年のビーナス・トランシットの時、当時の日本は明治7年でした。

 前年の明治6年から、太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されたばかり。
 まだまだ江戸時代の名残をとどめていた時代です。

 この時、欧米各国が世界70ヶ所以上に観測隊を派遣しました。
 そして日本にはフランス隊、アメリカ隊、メキシコ隊が、このビーナス・トランシットを観測するために派遣されましたが、当時の明治新政府も、来日した観測隊の目的がよく理解できず、右往左往した様子です。

 斉藤国治氏は、天文月報に「科学の黒船」という表現を使って、当時の事情を紹介しています。

 3国の観測隊は、フランス隊が長崎・神戸、アメリカ隊が長崎、メキシコ隊が横浜と、当時の主要港町で観測をしました。

 幕末から続く明治維新の混乱の時に、今まで接点のなかった海外と国内の技師や軍人や留学生が、力を合わせて観測したという記録が日本各地に残っています。

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 当時の天文学では、地球-太陽間の距離(1天文単位)が正確にはわかっていませんでした。

 エドモンド・ハレーが提唱した(1656-1742)「日面通過中の金星を精密観測することにより天文単位が確定できる」に基づき、当時の科学先進国が国威をかけ、世界各地に金星観測隊を送り出したというのが、この大観測の理由で、そして、金星観測絶好地の一つとして、日本が選ばれたのでした。

 実は当時から、金星日面通過観測による天文単位計測(三角測量法)は正確性の限界が問われ、8年後の1882年のビーナス・トランシット(日本では夜のため観測できず)には、各国とも、あまり熱心な金星観測は行われなかったといいます。

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明治7年(1874)当時、日本は…
●ちょんまげと散切頭が共存する、「ラストサムライ」の時代
●鉄道開業の2年後
●人力車がかなり普及しつつあった
●電信機はあったが、電話機はない
●横浜の街にガス燈はあったが、照明はまだ行燈・堤燈の時代



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